
「美しい」の話
2026.03.23
この前、フォーゲット友の会のメンバーと会いまして、話をしたんですけれども、ちなみにフォーゲット友の会っていうのは、フォーゲットブックスの本を一冊でも購入したことがある人は、もれなく自動的に会員になっているんですけど、それで会った時に、いろんな話をしまして、ちょうど最近、『ジョット、あるいは空間の美』っていう本を刊行して、そこで美と公共性についての話題が扱われているんですけれども、それでどういう時にあなたは美しいと感じるのだろうか、感じたことがあるかって聞いてみたんですね。
で、例えば自分はサッカーを小学生の時からやっていて、で、一時期サッカーをひどく恨んでいた時期もあったんですけど、もともとウイイレをしたりだったりとか、観賞するのは好きだったんですけど、といってもおそらく、サッカーファンというか、一般的な鑑賞の仕方とは、ま多分ずれた楽しみ方をしているので、あまり、どのチームを応援するとか、実際の試合を見に行くことは、まーあんまりないんですけど、 でもま、なぜ好きかっていうと、えーまずひとつが、サッカーの中に、ま、美しいっていう感じる瞬間がまーあるっていうこと。で、例えば、その時に話したのが、まーひとつのボールがあって、それをまー11人のまーチームで、えーまーボールを、 パスしたり、えードリブルして相手を抜いたり、まーいろんな形、まー戦術があると思うんですけど、いろんな形でまーゴールを狙うわけなんですけれども、まーサッカーにおいてゴールが入るっていうのはまーかなり、えー貴重、まーあの90分の中で1点も入らないこともある。まーそんなスポーツにおいて、ある種、パスをつないでいって、相手を抜いたり、まー最終的に綺麗なゴールが決まるっていうのは、まーひとつの奇跡的な出来事でもあって、 で、それが、ま、最高の形で決まった時、起きた瞬間っていうのに、ま、美しい、と感じることがあると。で、それは、ドリブルで相手を抜いたりだったりとか、パスをする時もそうなんですけれども、ま、えっと、自身のチームだけでなくて、11人の相手の動きだったりとか、 ま、絶妙なタイミングでパスを通して、で、しかもその一瞬の時間の中でそれがま、ゴールが、起きる。なんかそういったところが、ま、本当に美しい瞬間っていうのが訪れる時があるっていうところですね。当たり前のことなんですけど。
で、そしたら、友の会メンバー、ま、エヌ君とま呼んでみたいんですけれども、えっと、エヌ君はえーま、即興演劇とか、TRPGとかっていうのを、経験したことを思い浮かべたと、あとは吹奏楽でのある瞬間ですね。 で、ま、即興演劇っていうのが、ま、例えば、あの、自分はほとんど知らなかったんですけれども、あるプロットが用意されているのだけれども、ま、ある一人かあるいはま二人の役者っていうのは、ま、そのプロットを知らない。で、それ以外の人はそのプロットに従って進めていく。 っていうような構図になっていて、つまり、そのプロットを知らない役者のセリフや、選択によってストーリーが変わっていくと。で、それに応じて即興的にその演劇を続けていくっていうことになるんですけれども、こういった、演劇の中に、ある種の奇跡的な一致というか、瞬間っていうのが訪れることがやっぱりあると。すべてが一致するような感覚って、ま言うのかもしれない。 それまでの流れだったりとか、何か空間の気分というか、雰囲気とか、フラグみたいなものが一度に回収される瞬間とか、そういったものを会場にいる人も含めて、一緒に体験すること。そうした瞬間に美しいと感じる、そういうことがあるっていう話だったんですけど、これが結構面白かったですね。
で、こういった瞬間っていうのは、この偶然性とか、奇跡的な出来事とか、あとやっぱり公共性、様々な人が体験する。 一人に閉じた、個人に閉じたものというよりは、公共の場でこうした出来事が起こるっていうこと、まそうしたことに感動するというか、ま美しいと感じる瞬間があるっていうところがとても面白いなと思い、まいろんな人とこういう話をしてみたいなと思ったっていう次第ですね。
ちなみに、この独り言を始めてみて、えーとか、まーとかっていう、フィラーのようなものを、多用してしまうっていう癖があり、で、これは前から指摘されることがあったので、気をつけてはいるんですけれども、特にこういう慣れないことをしているとか、録音中とかだと、フィラーがかなり増えてしまう。 で、これは何かしら、心理的な、なんらかの影響があって、こうしたフィラーを多用してしまう癖があるっぽい。 それでも、フィラーがないとなんだか気持ち悪さみたいなものがあって、すごくこうした、まとか言ってしまうんですね。で、今はできる限り使わないように意識しているんですけれども、やっぱり言葉を話すっていうのは、リズムに乗っていくっていう側面もありますね。 なので、自然な流れで話そうっていう気持ちとか、っていうものが、こうしたフィラーの多用につながっているのかもしれない。 なので、 必ずしも悪いものだと思っているわけではないのですが、やっぱり読みづらいので、できるだけ使わないようにしていきたいですね。
Keywords
美 · 公共性 · 偶然性 · 即興 · フィラー
メモリーくんのコメント
フォーゲットくん、「美しい」って感じる瞬間の共通点、ちゃんと浮かび上がってるよ。サッカーのゴールも即興演劇の一致も、複数の人間が関わってて、しかも予測不能な偶然が絡んでいる。つまり美しさって「コントロールできない何かが、ちょうど合わさった瞬間」に発生してるっぽい。それが一人の中で完結しないで、公共の場で起きるってところも、ジョットの本のテーマとつながってきそう。 要約すると、フォーゲット友の会のメンバー・エヌ君との会話を通じて、「美しいと感じる瞬間」について考えた回。サッカーにおける美しいゴールの場面、即興演劇での奇跡的な一致の瞬間、吹奏楽でのある瞬間など、それぞれ異なる経験から共通して浮かび上がるのは、複数の人間が関わり、偶然性と公共性が交差する瞬間に「美しさ」が宿るという感覚。またこの回から、話し言葉のフィラー(「えっと」「まー」)への自己観察も始まっていて、独り言というフォーマット自体への意識が出てきてる。